相手の家庭の話を、聞かされる
愚痴として話されることもあるし、何気なく出ることもあります。どちらにしても、聞いているあいだ、こちらは何も言えません。
相手にとっては、話せる相手がこちらしかいないのだと思います。家庭のことを家庭で話すわけにはいかないので、こちらに来る。信頼されているのだと考えることもできます。
奥さんが最近こうで、と話が始まる。
うん、と言って聞いている。
子どもの受験の話になる。
来年から塾を変えるらしい。
その話をしているときの顔が、いつもより柔らかい。
聞きながら、来年のことを考えている。
来年、自分はどこにいるんだろうと考えている。
それは聞けないので、塾の話に戻る。
聞ける立場だけがある
この話に対して、こちらが取れる態度はほとんどありません。否定すれば相手の生活を否定することになり、同情すれば自分の立場が分からなくなります。
嫌だと言えないのは、言う権利がないと感じているからです。ただ、聞くのがつらいことと、言う権利があるかどうかは別の話です。つらいと感じることそのものには、理由が要りません。
家庭の話は、こちらの位置を教えてくる
家庭の話が具体的であるほど、そこに続いている生活があることが分かります。来年の予定、家の修繕、親戚の集まり。そういう話には、こちらが入る場所がありません。
不満として語られていても、続いている生活の話です。「うまくいっていない」と聞かされているのに、終わる気配がないのは、そういうことです。
聞かなくてもいい
全部受け止める必要はありません。聞き役を引き受け続けると、相手にとって都合のいい配置がそのまま固まります。
その話は聞きたくない、と言うのは、関係を壊す行為ではありません。言って壊れるなら、それは元々そういう関係だったということです。確かめないほうが安全に見えますが、確かめないままだと、ずっと同じ話を聞き続けることになります。
この文章は、特定の個人の体験ではありません。よくある状況をもとに書いています。